人は「自分にとって都合の良い情報」しか目に入れないものらしい
強調したい事をクローズアップする弊害
「一点500円のものを二点買うと、
セット割引で一点につき400円になる」
「500円のものを二つ買うと、一点400円になる。
二点だと800円だね」
って意味なのは分かると思います。
そういや字が大きすぎの単語がふたつありますね(笑)
「二点」と「400円」
これがとんだトラップで、文章をあまり読まないタイプの人ならばまんま
「(二点)買うと、(二点で)400円」
と、都合よく解釈してしまうのだ。
でもって「二点だと800円ですよ」と指摘してあげると「えーマジ?分かんないよー」と言われるから困るね!(笑)
この一文を書いた人はもちろん誤解を招くことを書いたとは考えていない。
「まさか『二点で400円』だとは思わないだろうと」とも考える。
だが人、特に女性というのはぱっと目に付くものを感覚的に受け容れる。
それも自分の都合の良い形にして。
人の理解力をなめてはいけません(笑)
これを逆手に取ることは出来ないものか
頭のいい人はそう考えるもんです
例えばブログの宣伝広告文などをぱっと目につきやすい文章スタイルを編み出したりします。
読みやすいように
一行一行を
短くする。
アメブロによくありがちな文章ですが(笑)
ぱっと目に入りやすい文体にすることによって伝えたい単語・メッセージを感覚的に捉えてもらいやすくしいます。
文章を書けば書く程理解が深まるだろう、特に男性は考えがちです。
私も割と男性的思考なので、くどく文章を書こうとしますが、そのくせ偏差値がさほど高くないので挫折して簡単な文章に落ち着くんですが(笑)
そこまで自分の意図を正しく理解してもらおうと言葉を尽くしても、
相手が「都合の良いこと」だけをピックアップしてしまっては元も子もないんだなって悟りました(笑)
だったら好きに書けばええやん
私はずーっとメタフィジック(形而上学)の学びを行ってきて、その集大成と言えるアデプトプログラムを通じて世界の真理を知った。
そして、真理を追い求める多くの人々に知って貰いたくてずっと書き続けた。
どうすれば皆に理解してもらえるのか、どんな言葉を使えばよいのか。
ずっと考えていた。
でも人は所詮、自分に都合の良い情報しか見ようとしないのだ
(今日悟った)
ならば私はただ叫び続けよう。
読み手がどう受け取ろうかはキニシナイ。どうせ私のではなく読み手の「都合の良いように」解釈されちゃうのならば、
自分の中にある確固たる真理、自分が築き上げた叡智に基づき、愛を叫び続けてやろうじゃないか。
伝えるのは「情報」ではない。
自分の生き様であり、世界を変えたいという情熱であり、そしてままならぬ人生の面白さ、そして無情さ。
そんな「エネルギー」を愛と共に伝えていこう、うむ。
北村佳代