「人を喜ばせる」と「自分を犠牲にして他人に尽くす」の大きな違い
そこに自分の喜びがあるかどうか
やっぱりここに尽きるんじゃないかな。
あとは日本人の気質的に「自己犠牲」って尊いものだと思われてるから、他人に尽くす方がなんとなく「いい人」扱いされるんじゃないかな。
尽くすことが「自分の喜び」でもあればいいんだけど。
偏見丸出しで言うのであればそれは「他人から評価される喜び」なのかもしれない。
「人を喜ばせる」時っていうのはあまり他人からの目っていうのは気にしてない。
ただ喜ばせる相手に対する喜びと、自分の喜び。
とってもシンプル。
最も喜ばせるべき人は誰か
もちろん自分(はあと)
分かる人はすぐ分かるし、分からない人は全く見当つかないであろうこの問いかけ。
要は人を喜ばせるには、まずは自分を喜びでいっぱい満たし、そっからあふれ出た喜びで他の人を喜ばせる。
まず自分が喜びでいっぱいでないとこれが出来ない。
そこを無理して喜ばせようとしても結局は「自分を犠牲に」するだけになってしまうんですよね。
自分を喜びでいっぱいにするやり方は人の数だけある。
「自分だけが知ってる、自分だけの喜び」なんてステキじゃないですかあ☆
たまにはスイーツに頼るのも悪いない(笑)
北村佳代