「人が考える自分」を生きる必要なんてない
「あなたはこんな人だ」人は他人をラベルづけするのが大好きだ
何故そうやって「自分が考えたあなたという人」を押しつけたがるのだろう。
そして、私達はそれをさも「自分自身」と思ってしまうのだ。
でもそんなのは本当の自分自身ではない。
人が勝手に決めつけた「自分」というラベルを何故貼り付ける必要がある?
それが簡単な生き方だからかもしれない。
「自分を知る」というのは実はとても難しい。
自分がどんな人間であるか知る時間もたっぷり必要となる。
それが「人生」と言われるものだ。
しかし今の時代は勉強だの仕事だのに時間を取られ
自分を知る時間が思いのほかなくなってきている。
そのくせ「他人」がどんな人間なのか興味津々なのだから
人間というのは本当に面白いものかもしれない。
自分がどんな人間か知らなければ
他人のラベルにしか過ぎない「自分」を生きるしかない。
それは本当に自分の人生と言えるのだろうか。
私はもう自分が「何者」かを知っている。
だから他人からのラベル付けはもういらない。
それでもラベルをつけようと考える人は多い。
なぜなら今まで私は「他人のラベル」だけで生きていたから。
自分が変わっても他人が気付くのには時間がかかる。
他人にラベルを貼っているヒマがあれば
自分がより上質なラベルをつけるのに専念すればいい。
あるいは自分はどんなラベルなのか知る必要がある。
例え人がかすみ草であることを私に望んでも
私が美しく咲き誇る薔薇になりたければ
薔薇となり周りの視線を集めるだろう。
私は「自分」を生きる。
だから皆も「自分」を生きて欲しい。
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この当ブログを訪問くださった皆様には
心より感謝申し上げます。
新年一発目がポエムよりも大晦日の方が許されるかなと思い
書いてみました(てへへ)
当ブログを開設後はアクセス数が「3」しかない日も続きましたが
最近は「300」あることも珍しくはなくなりました。
「中の人」という着ぐるみを脱ぎ北村佳代で書き始めた当初は
夢を壊された方も多かったかも知れません(笑)
夢はいずれ覚めるものだとご理解いただければ幸いです。
更新頻度は増えたもののまだ毎日まで行っていないので、
来年こそは毎日楽しめるようなブログを更新する予定です。
来年も人生のスパイスがてら、
当ブログをご愛顧いただければ幸いです。
じゃ、鎌倉に除夜の鐘つきに行ってきます-!
心からの感謝を込めて
中の人と呼ばれていた北村佳代より