「存在感が薄い」かすみ草は薔薇を目指すべきか
人は皆「世界でただ一人のかけがえのない存在」*ただし存在感は千差万別
「京浜東北みたいな遅れて当然な惰弱路線を使う奴は、仕事に遅れないようリスク回避策を講ずるべき」(意訳)
この文章に感銘を受けてから二年ぐらい経っただろうか。
文章の生みの親であり、今やブログのみならず多方面で世話になっているかさこさんのブログに北村が登場した。
基本アゲてくれてるのだが、見逃せないのが
「存在感が薄い」
という言葉だ。
これを見た時思わずにはいられなかった。
ついに指摘する奴が現れた
そう、自分が存在感が耐えられない程軽いことは認識していた。
先日「大人の文化祭」と称するイベントに行った時も「会いたかったですうう!」と声を掛けられてばかりいた盆栽、もとい広告漫画家やバレリーナを横目に、そう声を掛けられることはなかった。
いわば彼女から薔薇とすれば、自分はさしずめ単独では存在感のないかすみ草だ。
かすみ草ならかすみ草らしく他を盛り立ててればそれでいい。
ただ厄介なのは、自分自身ももっと目立ちたい!他人から認められたい!と考えている点である。
だから、人からの頼まれごとは積極的にやったし、キャラ立ちしようと自虐キャラを確立したりした。
だが頼まれごとをした人間は自分より有能な人材が現れれば見向きしなくなり、おまけに自虐した結果人生全体の運勢まで下向きになる始末であった。
かすみ草は白いからいいのであって、無理矢理カラーインクで青やピンクにしてしまってはいけないのだ。
それはかすみ草独自の美しさを損なう行為でもある。
なら存在感のないかすみ草どうすれば良いのか。
まずは「ひとり目立つ覚悟」が必要
目立ちたい!と言いながらも結局は目立ちたくないのは事実であり、薔薇や他の花といることで安心感を得ているのも事実。
かすみ草だけになったら確かに地味だしそもそも見えにくい(笑)
それでもかすみ草だけで勝負するならあえてやるしかない。見えにくかろうがまずは「覚悟」だ。
目立つ薔薇達は、目立つ故賞賛と同時に批判的な事もよく言われる。それでもスルーして、あるいは傷つこうと美しく咲き誇っているのが薔薇なのだ。
かすみ草はその存在感のなさ故に批判も受けにくい。だからかすみ草はやめられないという人も多い(はず)
でも薔薇になりたいならどうするべきか
かすみ草はかすみ草の素晴らしさがあるじゃねーか分かれよ!と言われようと
「せめてスプレー薔薇ぐらいになりたいな」
と思っている自分がいます(笑)
果たして北村が存在感のないかすみ草のままでいるか、ちょっとは存在感のあるスプレー薔薇に進化するのか、突然変異で一輪差し薔薇になるのか不明ですが、
いずれにせよ「自分だけの個性輝く美しさ」を忘れずにいたいと思います。
今日新宿ルプチメックで買ったベニエ。
通常店内を写メすることはないですが、名前を控えないと「アプリコットジャム入り揚げパン」としか記憶されないので備忘録がてらパチリ。
味?美味しい揚げパンでした(笑)
本業はヒーラーです。
トゥルーライフナビゲーター・MMS公認ヒーラー北村佳代
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