「頼る」と「信頼する」の意外と大きな違いとは
ん?「信」って文字がついてって違いじゃね?まあそれもありだな(笑)
まあネタはともかく私はこうじゃね?と考えています。
頼る:自分が信用出来ないから人にどうにかしてほしい
信頼する:その人を信じてある意味「委ねる」
「信」って文字の違いじゃね?もあながち的は外れておらず、「相手を信じるかどうか」がキーであり、
そして両者の最大の違いは「自分を信頼しているかどうか」である。
自分を信頼することとが出来なければ、人を信頼することも難しい。
これは「自分の内側にあるものが、外側に顕現される」という形而上学の真実でもある。
なにしろ人に委ねるのだ。委ねるとは完全に相手に任せることを意味し、そこに自分の意志や好き嫌いの域を超えている。
それは相手を「信じる」ことが前提となる。
「頼られる」という甘い言葉の裏側にはこんな思いも
自分に対する信頼感がないと、それを人に求めようとします。
そして、人に「信頼して」もらうため、人が喜ぶことを進んでやったりします。
それは例えばお手伝いだったりボランディアだったり。
その中で「頼りになるわー」と言ってもらえることも多いかもしれません。
でも相手のその言葉の裏にあるのは「頼めば嫌な顔をせず雑用をやってくれる人」といった無償の便利屋扱なのかもしれません。
そんな「頼られる人」が「頼る」時、そこには自分に対する信頼がないがためにやりたい事を満足に出来ないから、他の人のチカラを借りようという思いが潜んでいます。
また、チカラを借りようとする「他の人」を信頼してるかどうかというと、信頼してないというより「信頼」という発想自体がないような気がします。
全てに「信頼」できるようになると人生がイージーモードになる
「信頼」している人がいればて出来ることとして、ビジネスパートナーを組んだり、重要なミッションの一端を任せたり出来ることでしょうか。
それが出来ればいろんな事を現実させることが可能になりますよね。
一人で物事を成すには限界があります。
誰もが人との関わりを通じて、成長したり何かを達成することが出来ます。
そして、人生でより重要な、大きな志を果たそうとする時には「信頼」というエネルギーが必要になってきます。
信頼できるのは「人」だけではありません。
神様や仏様、自然、宇宙、自然に住まう存在達etc
それらを「信頼」できるようになれば、きっと彼等は惜しみないパワーを与えてくれるのだと想います。
自分を信頼するのは大切。
でも自分ひとりで出来る事には限界がある。
そんなバランスの取れた考えが出来るというのも大事かもしれませんね。
私もこのブログも、このブログを読んで下さっている方々に「信頼」されるようになりたいと思います☆
炎に浮かび上がる鎌倉八幡宮は趣がありますねー
北村佳代